校長日誌

《校長日誌》歴史と伝統の街・鳩ヶ谷で神輿を担ぎました

 鳩ヶ谷高校のある鳩ヶ谷の地は、江戸時代から日光御成街道の宿場町として栄えた街です。日光御成街道は、日光街道の脇往還として江戸時代に整備された道で、徳川将軍が日光東照宮に参拝する際に岩槻城に宿泊するために利用した道です。鳩ヶ谷の町並は緩やかな坂道に寄り添うように展開しています。埼玉高速鉄道の開通後、都市化が急速に進み、マンションの建設が相次いでいますが、現在でも趣のある商家や石積みの蔵などが点在しています。

 3年前の平成24(2012)年5月にテレビ東京「出没アド街ック天国」で鳩ヶ谷が大々的に取り上げられました。番組で第5位にあげられた鳩ヶ谷総鎮守鳩ヶ谷氷川神社は、鳩ヶ谷宿の日光御成街道沿いの高台に鎮座し、創建は室町時代の応永元(1394)年といわれています。室町幕府4代将軍足利義持の時代です。また、関ヶ原の戦いの直前の慶長5(1600)年7月、徳川家康が上杉景勝を討伐する奥州出陣の際に境内で休息したという故事もある由緒ある神社です。

 去る7月19日に鳩ヶ谷氷川神社の夏祭りがあり、生徒有志7名とPTA会長さん、学校評議員さんと御輿を一緒に担いできました。真夏の太陽の下、いい汗をかくことができました。私も40年ぶりに御輿を担いだのですが、始めの一歩を踏み出すことの大切さを改めて感じました。温かく迎えてくれた地域の皆様に改めて感謝いたします。

《校長日誌》浦島太郎伝説

 今日は第1学期終業式でした。思い返してみると、4月8日の入学式は雪が降りました。5月には猛暑、今年の夏は酷暑かと思ったら6月には梅雨寒、そして7月の大雨と不安定な天候でした。鳩ヶ谷高校の生徒841名が長い夏休みを有意義に過ごして9月の始業式に元気で会おうという思いを込めて「浦島太郎伝説」について話をしました。テレビCMは30秒に中で制作者の思いを伝えないといけません。おとぎ話は伝えやすい素材の一つです。最近は、スマートフォンのAUのCMで、桃太郎にはフレンドリーに、金太郎には上から目線で、桐谷健太が演じていて高校生にもお馴染みです。概要をご紹介します。

 テレビのCMは30秒という短い時間に制作者が思いを込めます。最近のCMではおとぎ話を活用したものを見かけます。おとぎ話には、子供に教え諭すための教訓が必ず入っています。内容は大変わかりやすい、善人はいつか報われ、悪人は最後には罰が当たります。しかし、この法則にあてはまらないおとぎ話があります。「浦島太郎」です。大人になると「あいつは浦島太郎だ」と言われると、世の中の変化に気付かいなことをさします。

 浦島太郎は、善人だと思いますか。悪人だと思いますか。この「浦島太郎」は、実は奥が深いのです。浦島太郎の立場、乙姫の立場でこの話は全く違ってきます。毎日、働き者の漁師であった浦島太郎は、「うまい話」にのり、竜宮城で快楽の世界を体験します。故郷に帰ると300年がたっており、知ってる人は誰もいません。孤独感を味わいます。鯛やヒラメの舞踊り、豪華な食事、乙姫の美しさは楽しかったのでしょうか。鳩ヶ谷高校で例えると、学校がつまらないからとアルバイトといううまい話にのり、時給900円、1000円という接待を受け、不相応のお金を手に入れ金銭感覚を失ってしまうようなものです。楽しさは、一緒に悲しんだり苦しんだりしてくれる家族や仲間がいて初めて楽しさを実感できるものです。浦島太郎はむなしさを感じたのだと思います。

 竜宮城に住む乙姫からすると、漁師である浦島太郎は天敵です。うまい話にのせ、浦島太郎を竜宮城に誘い込み、働き者から腑抜けものにしていまします。年老いた母親も見捨てさせます。最後は自暴自棄にさせることに成功しました。鳩ヶ谷高校で例えると、部活動や勉強などの学校中心の生活から、アルバイト中心の生活に向かってしまい、高校生活の魂を奪い取ってしまうことです。乙姫は浦島太郎の次の獲物を探しているかもしれません。

 ここ話からは3つの教訓についてお話します。

1 「亀」に乗ってはいけない、つまり、「うまい話にはのってはいけない」という教訓。

  亀は、現代では車やバイクである。やさしくされても車やバイクに乗らない。

2 蒸発してはいけない、つまり「家を出る時は、行き先と帰りの時間を親に言え」という教訓。

  急に子供が蒸発したとなれば、親は半狂乱になって探すに違いありません。浦島太郎は帰ろうと思えばいつでも帰れる状態でした。でも自分が楽しかったから、好き勝手をしていたのです。

3 自己中心の悪人になるな、つまり「相手の立場を考えられる人になれ」という教訓。

  浦島太郎、乙姫の立場によって、話の受け取り方は全く違ってきます。浦島太郎の最大の罪は、一人身勝手なことをしていたことにあります。老齢の母親は介護が必要だっだのでしょう。故郷の友達も突然失踪した浦島太郎のことを心配したでしょう。浦島太郎は自分一人のことしか考えませんでした。この点で、浦島太郎は悪人なのです。おとぎ話の最後で罰を受けることに何ら問題はなかったのです。

 夏休みになると様々な誘惑に出会うかもしれません。充実した45日間の長い夏休みを過ごしてください。浦島太郎にならず、二学期始業式に皆さんの元気に会いましょう。


 

《校長日誌》初代に名門なし・中村仲蔵

 落語には古典落語、創作落語、上方落語などいろいろなジャンルがあります。私の好きな落語に「中村仲蔵」があります。先日、三遊亭圓生、三遊亭圓楽、桂歌丸で聞き比べ、語りの大切さ、内容の面白さをを改めて実感しました。

 「初代に名門なし」と言われますが、家柄ではなく実力で大成した人物は、いつの時代も人に言えない努力をしています。歌舞伎役者の初代中村仲蔵(17361790)は、努力の末認められ、厳しい歌舞伎の世界(「梨園」と言います。)の身分制度・門閥の壁を乗り越え、名題となった稀代の名優です。江戸時代の歌舞伎界は下立役から名題まで6段階の身分に分かれており、家柄のない者は、才能や実力にかかわらず、名題には一生なれないのが普通でした。

 稀代の才能と努力の末、名題に昇格した仲蔵は、どんな大役がもらえるかと期待していると、与えられた役は、仮名手本忠臣蔵において、つまらない場面なので客が食事をする弁当幕と呼ばれる五段目の端役 斧定九郎 でした。実は、この役は名題ではなく本来は格下の役でした。当時の立作者と仲蔵との間に不和が起き、立作者が嫌がらせをしたといわれています。

 仲蔵は、こんな役やってられるかと言ってその役を蹴るか、格下役を甘んじて受けるかのどちらかしかありません。どっちにしても批判されるのです。気落ちして上方修行に出るという仲蔵に女房が、「あなたにしか出来ない定九郎を演じろという期待じゃないのですか」と励まします。仲蔵が取った行動は、その役を受けたうえで、今までの手法とはまったく違う、斬新な役を演じ、主役がその端役を演じた中村仲蔵に食われるような演技を確立しました。

 人生において、厳しい現実に直面しなければならないがあります。仲蔵も、役が振られたときは、「何でこんな役をしなければいけないのか」と悔しい思いをしたと思います。しかし、思い直して与えられた場所で全力を尽くすことで、道を切り拓きました。そんな不撓不屈の精神力、前向きな姿勢は今の時代にも大切だと思います。落語からは様々な人生訓も学べます。

《校長日誌》まくら

 鳩ヶ谷高校は、今日から第1学期期末考査です。午前7時30分頃に登校して、直前勉強をしている生徒もいました。最後まで諦めずに、自分の実力を出し切ってもらいたいと思います。

 私は教員になった頃、意識して毎月寄席に行っていたことがあります。私の初任校は専門高校だったのですが、専門科目ではない地歴科・公民科の授業は興味がないと聞いてくれません。午前中から夜まで開催されている寄席も同じで、午前中の前座の若手などは散々です。話がつまらないと、客は見向きもしてくれません。いきなり本題に入ろうものなら、「つまらない」と大声で言われます。

 落語は、「まくら」「本題」「落ち」の3部で構成されています。不思議なことに授業も「導入」「展開」「まとめ」の3部で構成されます。導入部である「まくら」は、自己紹介をしたり、「本題」にはいるための流れをつくったり、「本題」でわかりにくい言葉の説明をさりげなく入れたりして、一連の流れで話します。流れで一席の落語ができるのです。授業も同じように、最近の話題や自分の失敗談など、身近な話しで流れをつくらないと、50分間が修行の時間になってしまいます。
 落語家だけでなく教員も、流れをつくるために、上手な「まくら」にするために様々な情報を収集しないといけません。


《校長日誌》拙速(せっそく)は巧遅(こうち)に勝る

 今日は夏至です。1年で一番昼間が長い日です。鳩ヶ谷高校は明日6月23日が開校記念日で、生徒は休業日です。鳩ヶ谷高校は平成29年度に創立30年を迎えます。節目の創立30年に向けてブラシュアップに取り組んでまいります。

中国の兵法書『孫子』には、「拙速(せっそく)は巧遅(こうち)に勝る」という格言があります。拙速とは、つたなくても速いことであり、巧遅とはたくみでも遅いことです。つまり、完璧でなくとも取組が早いにこしたことはないという意味です。仕事で考えてみると、私自身、巧遅でうまくいったことはほとんどありません。

 完璧さを追求するあまり、いつも期限がぎりぎりになる人がいます。完璧さを心掛けること自体は、とても素晴らしい考え方です。ただし、時間がかかりすぎてタイミングを逃しては意味がありません。「完璧だ」と自分が思っていても、相手が同じように「完璧だ」と感じるとは限りません。時間の経過とともに相手方の考えが変化することもあります。そうしたリスクを回避するには、スピードが大切です。

 古来から歴史は人生の鏡であると言われてきました。古今東西を問わず歴史上の偉人は、皆早くて上手な「巧速(こうそく)」です。しかし、彼らは最初から「巧速」だったわけではありません。「巧遅よりも拙速」ということを意識し、その結果として「巧速」の術を身につけたのでしょう。

 「拙速」か「巧遅」かと二者択一の判断を迫られたら、あなたならどちらを選択しますか。拙速といっても限度もあります。いくらスピードが早いといっても、あまりにも粗雑すぎたり、内容がずさんすぎると、当然ながら信頼を失います。何事も計画性が大切です。


 

《校長日誌》俺が俺がの「が」を捨てて、おかげおかげの「げ」で生きる

あなたは、ジャンケンが強いですか?

「『ジャンケンで勝負だ』と言われたその瞬間、あなたはどう思いますか。『勝てそうだ』『負けるかもしれない』どちらでしょうか。実はその一瞬で私たちの脳は大きな選択をしています。」と言っているのはメンタルトレーナーの西田一見さんです。ジャンケンが強いか弱いかは、子供の頃の記憶に負うところが大きそうです。西田さんは、将来の可能性を決める2つの記憶として次の方程式を示しています。

経験記憶+イメージ記憶=将来の可能性

良い経験を重ねていくことは、人生にとってとても重要だそうです。私は、鳩高生には、鳩ヶ谷高校で一つでも多くの成功体験を積んでもらいたいと思っています。

その反面、絶対に言ってはいけない3つの言葉があるそうです。それは、「無理」「ダメ」「できない」の3つだそうです。この言葉を頻繁に使っていると、負のスパイラルに陥ってしまいます。

先日、ある会社を定年退職された後にも、会社や地域活動で活躍されている方と会食をしました。現役時代から、頼まれた仕事は断らなかったそうです。やったことのない新しい仕事にチャレンジし続けることで、新しい知識や経験が生まれ、さらに新しい人脈が広がっていったそうです。反対に「あれはイヤ」「私にはこれしかできません」と言って自分の仕事を限定している人とところには、やがて誰も仕事を頼まなくなるそうです。

私も10年ほど前に、教員の大先輩に「俺が俺がの『が』を捨てて、おかげおかげの『げ』で生きる。困っているから頼みに来るのだから、頼まれた仕事は引き受けなさい。おかげ、おかげの、おかげさま」と言われたことがあります。ことわざにもあるように「情けは人のためならず」です。

《校長日誌》正しいこととは何か

 今日から6月です。今日は全校集会がありましたので、その時の講話の内容を紹介します。

 

 昨年、ノンフクション作家である 門田隆将 さんの『慟哭の海峡』という本が出版されました。アンパンマンの作者である漫画家 やなせたかし さんにスポットをあてた本です。私は、3月14日の卒業式では皆さん誰でも知っている「アンパンマン」を題材にして「生きる希望」についてお話をしました。

 今日は、アンパンマンを題材に卒業式で伝えられなかった「正しいこととは何か」について考えてみたいと思います。私は授業では主に日本史を教えていましたが、歴史を学ぶなかで、常識を疑うこと、常に自分の立ち位置を意識することが大切だと教えてきました。「正しい」といわれていたことが間違っていたことはよくあります。

 アンパンマンは、他のヒーローと違いますよね。私たちのイメージする「正義の味方」といわれるスーパーマンやウルトラマンなどのヒーローは、悪役を徹底的にやっつけて、さっそうと去っていきます。街をめちゃくちゃにしても被害者に謝りはしません。

 やなせさんは、戦争を経験しています。私たちが想像を絶する場面も経験したでしょう。京都帝国大学出身の弟は23歳で戦死しています。そのような経験から「正しいこととは何だろう」「正義の味方といわれるヒーローは、一体だれを助けているのだろう」と考えたようです。真のヒーローとは、本当に困っている時、一人ぼっちで寂しくて心が折れそうな時などうしようもない時などに、やってきてくれる人だと気付きました。本当に人を救おうと思えば、自分が傷つかずにはできない場面があると思います。アンパンマンはヒーローだけど情けない。だからチビッ子はすぐに見向きもしなくなる。お腹がすきすぎて困っている人に、自分の顔を食べさせて助ける場面があります。自己犠牲の大切さへのメッセージですね。でも、バイキンマンやドキンちゃんを絶対に殺さない。大人になるとアンパンマンの偉大さがわかります。それは君たちが親になる時です。

 本当の正義、正しいこととは何か。それは、自分のことよりも他人のことを考えて行動し、人を大切にすることです。困っている人を助けること、それはいつの時代にも絶対に変わらない正しいこと、正義だと思います。

 先日、バスの中で優先席に座りながらスマホゲームに夢中になり2人組の高校生を見かけました。高齢者の方が来たらあなたならどうしますか。教科書には出ていませんが、優先席は電車やバスで一番乗りやすい場所、降りやす場所にあります。電車やバスでは優先席に限らず、高齢者や足の不自由な方、妊娠している方などいたら、席を譲りましょう。「どうぞ」の一言です。周囲の人への気ばたらきが大切です。

 たった一言で人は傷つく。たった一言で人は微笑む。たった一つの行動で人は癒されます。言葉や行動は、人から人へ「こだま」します。

《校長日誌》自己肯定感の育て方

爽やかな五月晴れですが、鳩ヶ谷高校では今日から3日間、第1学期中間考査です。今朝は、学校に7時30分前に来て教室で自習している生徒もいます。生徒一人一人が自分の努力を信じて、爽快なスタートダッシュをきってもらいたいと思います。

健全な自己肯定感を持たせるためにはどうしたらよいのでしょうか。その人が自分では気付かない部分を評価し、そこに目を向けさせることが大切です。プロセスをきちんと見て認めてあげることが大切だと思います。そういう経験が自己肯定感を培うと思います。

学校であれば、その子供が行ったことを適切に見て、そこにいたるプロセスを含めて評価してあげることが大切です。「テストの点数には結びつかなかったけれども、テスト前の1週間毎日勉強して頑張ったね」「レポートをまとめるために図書館で一生懸命資料を探していたね」など、結果だけでなく、プロセスを含めた評価が大切です。ご家庭でも試験勉強に頑張っていたら、ほめてあげてください。

また、子供自身が気付いていなくて、評価の対象にしていないことを肯定してあげることも大切です。「君の元気な挨拶で、あの子は元気づけられていたよ」など、気付いていないところで人の役に立っていたり、自分が失敗したと思っていることが、他の人から見ると別の視点で肯定してくれているということは、とても大きな自信になります。

学校でもご家庭でも、お子さんの「自己肯定感」が育まれるような環境づくりが大切だと思います。でも最近は、社会全体的に余裕がなくなり、大人自身が「自己肯定感」を持つのが難しい時代になってきている気がします。大人も自分へのプチご褒美が大切です。

《校長日誌》自己肯定感・日米中韓の高校生の違い

日本は、以前から自己肯定感が低い社会だと言われていました。財団法人日本青少年研究所による日米中韓4カ国高校生の意識調査比較「高校生の生活と意識に関する調査」は、とても参考になる資料です。日本青少年研究所は平成25年に解散しましたが、日米中韓4カ国高校生意識調査事業は国立青少年教育振興機構に継承されています。

2012年の調査における「自分の性格調査」では、「自分を価値のある人間だと思う」と回答した高校生は、日本(39.6%)、米国(79.6%)、中国(86.8%)、韓国(86.8%)でした。「自分はダメな人間だ」と回答した高校生は、日本(83.7%)、米国(52.8%)、中国(39.2%)、韓国(31.9%)でした。日本の高校生は「自分を価値のある人間だと思う」自己肯定感が、米中韓の高校生に比べると半分以下でした。また、「自分はダメな人間だと思うことがあるか」という調査については、「よくはてはまる」と回答した日本の高校生は、1980年が12.9%2002年が30.4%2012年が36.0%32年間で3倍に増加しています。

日本人が自己評価が低いというのは、謙譲の美徳という日本の文化もあるので、アンケートはその影響を受けているとも考えられますが、自己がまだ十分に成熟していないということもあるかもしてません。人は誰でも長所や短所、得意、不得意があります。現実の条件に左右されて望むように進めないこともあります。それらを全て含めたものが等身大の自己であり、「ありのままの自分」だと思います。そういう自分をまず認識することが「自己を肯定すること」なのだと思います。

自己への評価が低いと、人は他者への攻撃や排除に向かいがちです。ダメな人がいて、その人との比較において自己を肯定しようとしていけば、当然自分と違う人を「あいつはダメだ」と否定するようになります。しかし、そのような他者への否定の上に成り立つ自己肯定は長続きしません。

《校長日誌》自己肯定感って何?

「自己肯定感」とは心理学用語でself-esteemを訳した言葉です。心理学や教育学で使われていますが、一般的にはわかりにくい言葉だと思います。「自己肯定感」は、自分に対する評価を行う際に、自分のよさを肯定的に認める感情のことです。自分を「かけがえのない存在、価値ある存在」と認める感情が育まれる際に働くプラス面の感情を自己肯定感と捉えています。「自分が生きていることには意味がある」など、自分の命を大切にし、自身を肯定的に捉える感覚なのです。自己肯定感については、他者をさげすんだり、自分より下位の者の存在に置こうとしたりするなど、他者を軽視することによって、自己を肯定的に評価しようとすることは望ましい姿ではありません。

 私は、教育において「自己肯定感」を育てることはとても重要なことだと思っています。精神科医の香山リカさんは、「大人になってからでも自己肯定感を持てないということではありませんが、非常に困難です。自己肯定感は人生の早いうちに形成される必要があると感じます」と言っています。