蜘蛛の糸
芥川龍之介の短編小説「蜘蛛の糸」の話を読んだことありますか。6ページほどの短編なので朝読書の10分間で読み終えてしまう内容です。1年生は「国語総合」で、芥川龍之介の『羅生門』を勉強したので、知っている人も多いと思います。彼は1927(昭和2)年に35歳で「将来に対するぼんやりとした不安」から自殺をしてしまいます。
「蜘蛛の糸」の話の概要です。ある朝、極楽にいるお釈迦様は、散歩をしていて、蓮の池をのぞき込みました。そこは地獄に通じていました。カンダタという極悪非道の悪人が、生前の償いで地獄に落とされていたそうです。極楽でそれを見たお釈迦様が、カンダタも人生の中でただ一つだけ良いことをしたのを思い出しました。踏み殺そうとした蜘蛛を見逃してやったのです。お釈迦様は、その行いに報いるため、カンダタを地獄から救い出してやろうと蜘蛛の糸を垂らします。それに気付いたカンダタは、天井に向かい必死にその細い糸を昇りますが、中ほどまで昇ったところで、他の罪人たちも気が付き、次から次に昇ってきたそうです。カンダタは罪人たちに向かって「下りろ」と叫びます。その途端、蜘蛛の糸がカンダタのぶら下がっているところからぷつりと切れました。お釈迦様はカンダタの無慈悲な心を悲しんだそうです。極楽はお昼になっていました。
蜘蛛一匹を助けたことでお釈迦様の目にとまったのであれば、逆に、蚊や蝿、蟻やゴキブリなどを何らかの殺生(生き物を殺すこと)をしたことのある私たちの日常は、地獄からのスタートかもしれません。人間は、善いことを行いながら知らず知らずに悪いことも行い、悪いことを行いながら、知らず知らずに善い行いもする。でも、意識して、善い行いを積み重ねましょう。善行のススメです。
あなたの目の前にもあなたの蜘蛛の糸は存在します。自分の経験でも、不思議と他人の蜘蛛の糸は見える気がします。そして、目の前に垂れた自分の蜘蛛の糸に気付かない人が何と多いことか。「世の中が悪い」などと愚痴を言って、定員オーバーの他人の蜘蛛に糸をうらやんでも何も始まりません。必ず垂れている自分の糸を探し求めなさいというススメです。
では、自分の糸を探すためにはどうしたらよいか。まずは、「情けは人のため為らず」です。どのような意味か考えましょう。他人に対して情けをかけておけば、巡り巡っていつかは自分に良い報いが帰ってくるという意味で使います。「自己責任」という言葉がとびかう殺伐とした現代では、「甘い」と言われるかもしれません。大人も45%が勘違いしています。45%の大人は自分の蜘蛛の糸に気が付きません。思い込みは禁物です。何事も確認せよというススメです。