【校長日誌】ある人生・吉田稔麿
幕末の長州藩に、吉田稔麿(1841~1864)という人物がいました。この人物を知っている方は、よほどの歴史好きです。歴史の教科書のどこを開いても、この人物は登場しません。吉田松陰(1830~1859)、高杉晋作(1839~1867)、桂小五郎(のちの木戸孝允)(1833~1877)などの陰に隠れ、明治維新を見ることなく消えていった無数の志士たちの一人です。昨日、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」を見ていたら、吉田稔麿が登場していたので、思わず筆をとりました。2回にわたって書きたいと思います。
幕末という時代は、当時の若者たちに過酷な試練を迫りました。江戸幕府の権威が弱まり、国論は尊王攘夷運動(天皇尊崇と外国排斥思想)や公武合体運動(朝廷と幕府の提携による政局安定策)などに分裂し、ことに京都においては治安は著しく乱れていました。このような混乱の時代に生きた若者たちに、時代は無為に生きることを許しませんでした。こんな時代に吉田稔麿は生きていたのです。
彼は、新選組が京都三条河原町の旅籠池田屋に集合した尊王攘夷派を急襲した池田屋事件(1864年)の時、沖田総司と闘って亡くなっています。子母沢寛の小説『新選組始末記』には、「何しろ天才的な剣法者沖田に立ち向かっては、殆ど子供扱いにされて、斃されて終わった」と書かれています。