「普通」ということ

 今日、本校の5年次教員の研究授業がありました。数学の教員で、「数学Ⅰ」におけるデータの分析の授業でした。プロ野球読売ジャイアンツ所属選手の年俸を題材に、平均値、中央値、最頻値を求めさせる授業でした。パソコンや電卓で簡単に計算できる現代だからこそ、数値の根拠についてしっかりと考えさせることは大切だと実感しました。同時に、公民科のベテラン教員の「現代社会」の授業で、生徒に調べさせ、小グループで討論させ、意見をまとめる「協調学習」の授業をみました。3年生の生徒が積極的に意見交換をしていました。

 教育改革が叫ばれて久しいです。ふと、『崖っぷち弱小大学物語』(杉山幸丸著・中公新書ラクレ・2004年)を思い出しました。京都大学から中京地区の私立大学新設学部の立ち上げに奮闘した4年間の記録が本書です。いわゆる研究中心大学(授業はほとんどなく院生の面倒をみる程度)から本人いうところの崖っぷち弱小大学に異動したところから話は始ります。現在、大学全体の3分の2以上が崖っぷち弱小大学に分類されるそうです。

 「私は長年大学に所属し、自然科学の研究に従事し、多少は世界の同業者にも求められる成果を挙げてきた。そして現職に移った。そして感じたこと。それは、私のこれまでのキャリアなどは学生達にとって何の値打ちもないということであった。私にとって大事なのは、どうやって学生達にやる気を起こさせるかである。知識が増えることは、勉強する事の苦しさを乗り越えることは、単位を取るということ以上に大きな喜びにつながるすばらしい気分が味わえる事なのだと、頭と体でわからせることである。自然や社会で起きているさまざまな現象間に、相互の関連があると気づかせること。現象の表面だけでなく、その流れや周囲の環境を見ることによって理解が深まる事。何かに集中して一つのことをまとめあげる快感は、そこに達するまでの苦労を吹き飛ばすほど大きい事…」

 大学教育と高校教育は異なりますが、私は、学校教育に必要なのは、いわゆる「評論家」ではなく「実践家」が必要だと思っています。学部長として招かれた著者は、これまでとあまりに違う学生の状況に接して、どうしたものか悩み続けました。そして次のような結論に達したのです。「普通の人間が普通の社会で普通の人生を送れるように育てよう。普通の若者が元気を出せるような教育をしよう」と。