2015年3月の記事一覧

【校長日誌】じゃんけんポン

 昨日、平成26年度の修了式を行いました。鳩ヶ谷高校も学年末休業に入りましたが、生徒諸君は部活動、教員は新年度に向けた準備などに取り組んでいます。
 今日は、昨日の修了式でのお話を紹介します。

 平成26年度が修了します。春になります。桜が咲きます。節目の時期です。生徒諸
君だけでなく、私たち教員も4月に向けて、「やるぞ」と気持ちを切り替える良い時期です。

 さて、突然ですが、生徒の皆さん、先生方も一緒に、右手を高く上げましょう。私とジャンケンをしましょう。最初はグー。ジャンケンポン

 実は、ジャンケンで今の皆さんの気持ちがわかるという心理学の分析があります。ジャンケンは、瞬時に出すものを判断しないといけません。そこに深層心理が表れやすいと言われている。グーの人。周りに流されない強い意志の持ち主。コツコツ頑張るタイプ。チョキの人。物事を客観的に見て冷静に判断する者。考えて動くタイプ。パーの人。何事も包み込む包容力の持ち主。柔軟で優しいタイプ。参加しなかった人。どうにかなるさと楽観的に考える者。恥ずかしがり屋さん。めんどくさがり屋さん。何事も参加しないと何もできません。参加しなかった人、ひとつ、生き方を変えてみましょう。
 


【校長日誌】卒業おめでとう

 

 今日は、鳩ヶ谷高等学校第25回卒業証書授与式でした。校長として初めての卒業式でしたが、生徒一人一人の学校に対する想いがとても強く感じられた素晴らしい卒業式でした。檀上から見える卒業式の雰囲気は、今まで経験したことのないものでした。在校生代表の送辞は先輩に対する想いの伝わる温かい文章でしたし、卒業生代表の答辞は、高校時代の思い出が卒業生一人一人の胸に甦る素晴らしい文章で、私も感極まりました。
 今回は、私が式辞で読んだ内容を紹介します。

 今、卒業証書を授与いたしました277名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
本校の卒業生は皆さんを加え、6653名となりました。
 皆さんは、入学以来3年間、しっかりと高校生活を送ってきました。特にこの1年間、鳩ヶ谷高校の最上級生として、日々の授業をはじめ、体育祭、鳩高祭での圧倒的な団結力、園芸デザイン科の農業クラブや学科行事、情報処理科の検定試験や学科行事、進路実現に向けた面接練習など、さまざまな場面で真剣に、時には楽しく取り組んでいた姿が浮かんできます。
 皆さんは、本日、鳩ヶ谷高校からそれぞれの夢と希望を持って、新たな道へ歩み出していきます。皆さんが歩み出す今日の社会は、混沌とした国際情勢、不安定な経済状況、4年前の東日本大震災からの険しい復興への道のりなど、課題が山積しています。このような時だからこそ、一人一人の「生きる希望」がとても大切です。
 そこで、皆さん誰でも知っている「アンパンマン」を題材にして「生きる希望」について考えてみたいと思います。アンパンマンは今から42年前に登場し、現在では、子供たちに絶大な人気を誇る国民的キャラクターです。小さな子供たちに圧倒的な人気のアンパンマンですが、5歳ぐらいになると、別のことに興味を持ち始め、見向きもしなくなってしまいます。でも、なぜか今、皆さんの頭の中には、「アンパンマンのマーチ」が流れていることでしょう。4年前の東日本大震災の際には、子供たちだけでなく、大人たちまでも、FM放送から流れるこの曲に勇気づけられました。実は、私もその一人でした。
 
作者のやなせたかし(1919~2013)さんは、生前、「小さな子供向けの作品は、非常に不思議なことに、お話の本当の部分がなぜかわかってしまうのです」と言っています。やなせさんは、大人にも通じる普遍的な物語としてアンパンマンを描いていました。それは、どんな時代でも常に「生きる希望」を持つということでした。
 歌詞の中に「そうだ、嬉しいんだ 生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも」とあります。あなたは、鳩ヶ谷高校で「生きる喜び」を感じられましたか。まだ、感じられなかった人は、これから「生きる喜び」を感じる時が必ずやってきます。

 歌詞の中に「何のために生まれて、何をして生きるのか。答えられないなんて、そんなのはいやだ。」とあります。あなたは、鳩ヶ谷高校で、「何をして生きるのか」その答えが見つかりましたか。まだ、見つかっていない人は、困難に出会っても、「何をして生きるのか」が答えられる時が必ずやってきます。

 歌詞の中に「忘れないで夢を、こぼさないで涙。だから君は飛ぶんだ、どこまでも。」とあります。あなたは、鳩ヶ谷高校で「夢」を忘れませんでしたか。忘れかけた人は、これから「新しい夢」を作り出し、愛と勇気が友達だとわかる時が必ずやってきます。

 大人になると、いくつもの困難に出会うことがあると思います。そのような時、皆さん思い出すのです。思い出がたくさん詰まったこの鳩ヶ谷高校を。そして、「生きる希望」の炎を燃やし続けましょう。

 最後になりましたが、卒業生の保護者の皆様、お子様のご卒業、心からお祝い申し上げます。皆様には、PTA会員として、本校の教育活動に対し、温かい御理解とお力添えをいただきましたことに厚く御礼申し上げます。

 卒業生の皆さんの、これからの大きな活躍を心から願いまして、式辞といたします。


【校長日誌】吉田稔麿・走れメロス

  

 今日は、入学許可候補者の発表がありました。願いがかなった方もかなわなかった方も、次のステップに向けて成長してもらいたいと思います。
 私は、山口県萩市には4回行ったことがあります。最後に行ったのは20
年程前です。その時、吉田松陰の生誕地に行く途中で、「吉田稔麿誕生地」という石碑を見つけました。私は、京都の旅籠池田屋跡に行ったことがあります。昔はパチンコ店でしたが、現在は居酒屋チェーンの居酒屋になっており、店名はズバリ「池田屋」です。雑然とした街中になるのとは対照的に、生誕地は閑静な住宅街にありました。ここで稔麿は、少年時代を過ごし、松下村塾で吉田松陰に学び、江戸や京都で活躍する。140余年前に、吉田稔麿を温かく見守っていただろう山河が、同じ姿で自分を迎えてくれていることに、自然は雄大だと当時も感じました。

 1864(元治元)年6月5日、吉田稔麿は池田屋の会合を知って、たまたま参加しただけでした。彼は一太刀あびたが、その大事を仲間に知らせるために、長州藩邸(今の京都ホテルオークラのあたり)に駆け込みました。江戸時代、藩邸は幕府権力の及ばない、今でいう大使館のようなところで、ここに逃げれば安全でした。しかし、彼は、事件を藩士に告げた後、再び死闘が繰り広げられている池田屋に向かいました。自ら仲間を助けるために、進んで修羅場へ駆け込んでいった吉田稔麿の行動を考えると、そこに一つの生き方があると思います。

 作家の司馬遼太郎は吉田稔麿の生き方を「太宰治の短編に『走れメロス』というのがあるが、稔麿の最後はメロスに似ている。」(『街道をゆく』)と記しています。

 歴史は、名もない人々の日常の積み重ねであり、人生は、個人一人一人の日常の積み重ねであると思います。何も偉業を成すことが、人生の成功であるとは思いません。自分が生きていた証として、さわやかな記憶を一人でも多くの人に持ってもらえれば、これほど素晴らしい人生はないと思います。

【校長日誌】ある人生・吉田稔麿

 幕末の長州藩に、吉田稔麿(18411864)という人物がいました。この人物を知っている方は、よほどの歴史好きです。歴史の教科書のどこを開いても、この人物は登場しません。吉田松陰(18301859)、高杉晋作(18391867)、桂小五郎(のちの木戸孝允)(18331877)などの陰に隠れ、明治維新を見ることなく消えていった無数の志士たちの一人です。昨日、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」を見ていたら、吉田稔麿が登場していたので、思わず筆をとりました。2回にわたって書きたいと思います。

 幕末という時代は、当時の若者たちに過酷な試練を迫りました。江戸幕府の権威が弱まり、国論は尊王攘夷運動(天皇尊崇と外国排斥思想)や公武合体運動(朝廷と幕府の提携による政局安定策)などに分裂し、ことに京都においては治安は著しく乱れていました。このような混乱の時代に生きた若者たちに、時代は無為に生きることを許しませんでした。こんな時代に吉田稔麿は生きていたのです。

 彼は、新選組が京都三条河原町の旅籠池田屋に集合した尊王攘夷派を急襲した池田屋事件(1864)の時、沖田総司と闘って亡くなっています。子母沢寛の小説『新選組始末記』には、「何しろ天才的な剣法者沖田に立ち向かっては、殆ど子供扱いにされて、斃されて終わった」と書かれています。